遺書(ブログ)

グレイな生活を唯一彩ってくれていたのがGLAYだった。

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仕事中はラジオを流しているか、原稿を書く時は喋っている内容が気になってしまうので「OK Google」で音楽を流しているんだが、今日なぜか「OK Google GLAYを流して」と、Googleに命令してしまった。いまが後者の”原稿を書く時”にもかかわらず、である。

GLAYのメンバーはほぼ同年代。
少し年下にあたるので、GLAYが大ブレイクしていた1990年台に好んで聴いていると、「ホンちゃん若い音楽聴いてるんだねえ~」なんて言われたものだ。当時おれだって20代だった。

たしかに当時のGLAYは、当時の中高生を中心にブレイクしていたし、1980年台という音楽の超絶最盛期に青春時代を過ごしたおれの世代にとって、1990年台の音楽は”若い”を通り過ぎて”青臭い”。もっと悪い言い方をすればGLAYはBOOWYやX(エックス)の”猿真似”、”おれたちの80年台が希釈された”廉価版に見えていた(失礼)。

好きでも嫌いでもなかったが、正直、見下してはいた。

しかし、時は折しもカラオケブーム。
ネットもスマホもなかった当時の20代にとって、仕事上がりの遊びといえばカラオケしかなかった時代だった。
1996年には、おれの大好きなBOOWYや尾崎をカラオケで歌う奴はもういなかった。

おれは若い女の子にモテるためにGLAYのアルバムをレンタルした。
カセットテープに録音して、何度も何度もカーステレオで流して、車中で大声で歌った。

そして、見事にハマってしまった。

気だるい朝は「グロリアス」でテンションを上げ、勤務中は「more than love」で仕事効率化を図り、仕事帰りに夕焼けを見上げながら「BELOVED」で涙ぐみ、寝る前に「カーテンコール」で泣いた。

すっかり見下していたGLAYの虜である。
1996年は特に仕事が忙しく、若さに任せて我武者羅に駆け抜けた時期だった。プライベートなど存在せず、車の中と、仕事終わりの酒とカラオケだけが、大げさでなく生きる糧だった。グレイな生活を唯一彩ってくれていたのがGLAYだった。
あまり思い出したくない時期でもあったので多くはないが、今でも当時の生活を思い出すとGLAYが自動再生されるほどである。

その時期を駆け抜けた後、なぜか自然と、おれはGLAYを封印していた。。。

あれから22年。
いま、おれの背後のスマートスピーカーからは、長きに渡り封印していた「カーテンコール」が流れている。

22年ぶりに泣きながら、原稿がまるで進んでいないことに気づく。

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