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『ボヘミアン・ラプソディ』魂のラスト21分

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今日、ようやく映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。
趣味の「映画鑑賞」の大半をツタヤかアマプラで済ませる主義だが、1980年代に青春時代を過ごした身の上としては、必ずや映画館で観なければと思っていた。

おれはクイーンの大ファンというわけでもない。
実はクイーンよりもシカゴだったし、エルトンよりビリーだったし、ボウイよりもスプリングスティーンだった。当時は全く意識していなかったが、要するに、かなり明確にアメリカン寄りの少年だった。

そんなおれでも、劇中にクイーンの曲が流れると当時の思い出がフラッシュバックされたし、懐かしい気持ちになれた。
なぜなら、おれが洋楽に目覚める1983年頃には、既にクイーンはスタンダードなアーティストであり、好む・好まざるにかかわらず、クイーンは当時の洋楽好き少年にとって必修科目のようなものだったのだ。

映画にはクイーンの結成からスーパースターになるまでの十数年が描かれているが、もう(クイーンが)売れる前の段階から胸が一杯になって、両腕には鳥肌が立ちっぱなしだった。

「ヤフー!映画」の評価では堂々の4.64(2018年12月27日現在)。
近年、なかなか見たことのない高得点だ。
この評価を見ればわかるとおり、間違いなく後世に語り継がれる名作に仲間入りする作品になる。よって、ヤフー!のレビューで”評論家”の皆さんに語り尽くされているので、おれなんかが細かい感想は書く必要はないだろう。

ただ一つだけ。
心からIMAXの高詳細大画面と大音響のデジタルサウンドで観てよかったと思っている。

さて、前述したように「最初から胸を一杯にして」映画を観ていたおれだが、思いっきり楽しめたか?と聞かれれば、実はそうでもなかった。

いや、映画は最高だった。
楽しみきれなかったのは、間違いなくおれのせいだ。
おれ自身の過失が生んだまったく別次元の妨害によって、映画に集中できなかったのだ。

いったいそれはなにか?

「尿意」である。しかもかなり激しめのやつ。

いつもならば上映前に必ずトイレに行っておくのだが、映画館に到着したのがあまりにギリギリだったため、トイレに気を回す余裕がなかった。朝、起き際に行ったきりなので、映画が始まって早々にタイミングが訪れてしまったのだ。完全に過失である。

開始すぐに一杯になったのは「胸」だけじゃなく「膀胱」もだった。
そんなキラーフレーズを思いついても、ちっとも笑えない。

作中おれの両腕に終始鳥肌を立てていたのは、フレディの美しい「ボーカル」じゃなくて「ボーコー(膀胱)」の方だった、ってやかましいわ。

ともかく、開始30分頃から、おれはずっと激しい尿意と戦っていた。
その後エンドロールが流れきるまで約100分。何度トイレに立とうかと葛藤したかわからない。

決して集中しきれてはいないものの、映画にも没頭はしていたという矛盾。「一瞬も見逃したくない」という気持ちが首の皮一枚勝っていたのかもしれない。

「ブライアン・シンガー監督、目が離せないほど面白い映画を作ってくれてありがとう」

という言葉は、膀胱の立場に立つと、適切なのかどうかがわからなくなる。

最終的に、涙袋と尿袋を満タンにしながらも、おれは席を立つことなく最後まで観ることができた。映画のキャッチコピーである「魂に響くラスト21分」は、まさしくおのれの魂だけで乗り切った。
ああ、正直に言うと1箇所、『We Will Rock You』が誕生した場面。あの「ズンズンチャ! ズンズンチャ!」の振動で少しだけチビってしまったような気もするが、それは見逃してほしい。

もう館内が明るくなると同時にトイレへ駆け込み、かつてないほどの尿意の開放した瞬間、なぜか同時に涙腺も崩壊していた。

「限られた命を燃やし尽くす」というフレディの戦いが終わるとともに、おれの戦いもそこで終結したのである。

滝のような尿を放出しながら号泣するおれ。
2つの感動が交錯した、最高に幸せな瞬間だった。

家に帰ると、感動冷めやらぬおれは、部屋のAIスピーカーに向かって命令した。

「オッケーグーグル。クイーンの曲をかけて」

約3秒後、流れてきた曲は『ボヘミアン・ラプソディ』でも『伝説のチャンピオン』でもなく、なんと『キセキ』だった。

おいグーグル、それはGreeeenだよ!

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