テレビ番組はHDDでCMを飛ばしながら見ているんだが、その時は飛ばしそびれたのか、この間たまたまニッセイのCMを見た。
YouTubeに公式映像が公開されていたのでアイキャッチに貼っておく。
最初「娘が、高2になりました」といいながら、空気を読まずビデオを回す父親。
「ちょっとー、やめてよ!」とウザがられている様子を見て、即座に父親に感情移入してしまった。
おれも娘が小さな頃は無遠慮にカメラを向けては嫌な顔をされてきた。
度が過ぎて、殺意すら感じる表情の写真ばかりになってきた頃から、正面から撮るのをやめた。
だから、ある時期から娘の写真はゴシップ誌の隠し撮りのような写真ばかりに変わっている。
中学生の娘にはストレスでしかないのかもしれないが、やっぱり父親としては、今しかない娘の表情は残しておきたいのだ。
CMの中の父親も同じようで、勉強している娘を隠し撮りのような方法で撮影している。
勉強している娘の足元に転がるクマのぬいぐるみに気づき、父親はナレーションで過去を振り返る。
「昔はくまちゃんのぬいぐるみで遊んでいたのに、最近ではスマホばっかりです」
わかるぞ、わかる。うちの娘もそうだ。
小さな頃、おれが買ってあげたガンダムのハロのぬいぐるみを「ハロちゃん、ハロちゃん」と可愛がってくれたものだが、年末の大掃除でそれがゴミ袋に入っていたのを見たときは、鼻の奥がツンとした。
小さな頃、リビングにいれば無条件で膝に乗ってきた娘も、今となってはスマホばかりで父親とは目も合わせようとしない。
CMの父親も、同じように娘にはまるで空気のように扱われているようで、親近感がさらに湧いた。
おれも娘に一切話しかけられることはない。それどころか目も合わせない。
家の細い廊下ですれ違うときも、目を伏せながら風のようにおれをすり抜ける。
愛する娘の視界に入らない。
“思春期の娘を持つ父親”ビギナーとしてはなかなか辛いものはあるが、そのうち「年頃の娘とはそういうものだ」と受け入れられるようになるのだろうか。
CMの父親は既にそのステージにいるようで、娘に無視されても一切不満など言わず、大学受験を目指して勉強する娘を距離をおいて見守っている。
素晴らしい。
おれの娘はまだ中学生だが、これが今後目指す父親像なのかも知れない。
少しでもこのステージに早く到達できるよう、ますますCMの世界観に引き込まれる。
やがて娘の受験日。
テストを受ける娘の机には父親の写真。
普段は素っ気ない態度を取ってしまうけれど、なんだかんだ娘は父親に感謝しているんだな。少し救われた気分になる。
「テスト会場に父親の写真」?と少し引っかかる部分もあったが、考える間もなく、映像は怒涛のように流れていく。
娘が生まれたときの映像。
歩き始めたときの映像。
熱を出して病院に連れて行くときの映像。
公園で楽しく遊んでいたときの映像。
手をつないでニッコリ微笑んでくれた娘の映像。
入園式、入学式。
そして、「大っ嫌い!」。思春期になった娘と溝が生まれた瞬間の映像……。
どれも過去の自分に当てはまってしまうものばかりで、自然と涙が出てしまう。
ここで名コピー。
「父は、何があってもキミの父です。」
引くほど泣いてた。
そうなんだよ。
娘がどんなに生意気でも、どんなにウザがられても、逆におれが心無い言葉を滑らせて娘を傷つけたとしても、
何があってもおれはコイツの唯一の父親なんだ。
嫌われようが、(一時の気持ちで)存在を消したかろうが、この事実は、娘にも神様でさえも動かせない。
娘を本当の意味で守ってやれるのはおれしかいない。
病室で泣きじゃくっている娘の表情を見ながら、おれの涙は枯れ果てようとしている。……ん?
「病室」?
やがて映像は墓地に切り替わる。
娘は墓石に手を合わせながら語りかける。
「お父さん、大学行けるよ。ありがとう」
死んでるのかーーーーーーーーい!
おれが目指すべき理想の父親像は”幽霊”だった。
父娘の感動物語は、一気に『シックスセンス』(ネタバレ)になってしまった。
やっぱり一度嫌われた父親は、死ななきゃ感謝されないということなのか。
極端な考えであることは承知しているが、そんな結論に目が眩む。
“思春期の娘を持つ父親”の次のステージはまだ遠い。