今日は衝動的に川崎市岡本太郎美術館に行ってきた。
以前から行ってみたいと思っており、これまでも「よし今日行ってやろう」という場面は何度もあったが、そう思い立つときに限って調べてみると休館日だった。とにかく相性が悪く、なかなか実現することができなかった。
で、幸運にも今日は休館日じゃなかったというわけだ。
なぜそんなに行きたかったのか。それは自分でもよくわかっていない。
特に岡本太郎ファンだったわけでも、美術に興味があるわけでもない。「行けば話のネタになるかな」という程度と言ってしまえばそれまでなんだが、岡本太郎というアイコンにはそれ以上の何か惹きつけるものがある……なんて言えばそれっぽいか。
とにかくだ。「行ってみたい」、その気持ちは本当だった。
「今日こそ絶対に行く日なんだ」。すべきことが何もなかったわけではないが、その辺はマヒさせて勢いに任せて行ってきた。
感想としては「よくわからなかった」が本音だ。おれのような凡才はこの程度の感想でいい。
岡本太郎の前衛的な作品群を見て「共感した!」と鳥肌を立てるのは、たぶん天才だ。そういえば、おれが今ドハマりしているあいみょんもここをよく訪れると聞いたことがある。間違いなく彼女は天才だ。
おれはあいみょんの鼻毛にも及ばない凡才だが、ただひとつだけ確実に言えること。
岡本太郎美術館の空間は、ただ心地よかった。
共感したとか、素晴らしかったなんてとても言えない。
象徴的でよくわからないが色鮮やかな絵画、力強いオブジェ、座りにくい椅子。おれの凡庸な実生活から明らかにかけ離れた世界観。違和感。異次元空間。むしろこの世界が正しくて、おれが異物にされてしまったような、ある種”居心地の悪さ”。
だけどイヤじゃない。
矛盾しているようだが心地よかった。
おれには芸術を批評する資質も知識も資格もない。
でも「なんか良い」。それで良い。
これがある意味で正しい芸術との向き合い方なんだろうなと感じるに至った。
凡人なりにテンションが上がっていたのだろうか。
最後のミュージアムショップではポストカードやら記念マグネットやらミニタオルやらノートやらクリアファイルやらマスキングテープ(!)やら、えらく買い物してしまった。合計4000円也。
岡本太郎が亡くなって24年。
彼の芸術は、おれの購買欲にまで爆発をもたらしている。
<つけたし>
岡本太郎美術館のある生田緑地を歩いていたら、8年前に幼い娘と2人で遊びに来たことのある場所だということに気づいた。
今は決して見ることができない、無防備に向けられた悶えるほど可愛い笑顔。
悔しくて涙がにじんだ。