12月8日に近づくと、ラジオではこれでもかと言うほどジョン・レノンの曲が流れる。
クリスマス時期に合わせたあの有名な『Happy Xmas』だけじゃなく、『Imagine』『Starting Over』など、各番組のDJが競うように思い思いの代表曲をかける。
12月8日はジョン・レノンの命日だ。
ビートルズは年齢なりに好きだが、特にビートルズマニアというわけではない。したがってジョン信者でもない。
でもこの日だけは忘れられない。
38年前のまさしくその日、1980年12月8日に弟が生まれたからだ。
その日、テレビのニュースはジョン・レノン暗殺の話題で持ち切りだったらしい。「らしい」というのは、おれ自身あまり記憶にないからである。
おそらく我が家は母の出産で大騒ぎだったんだろう。
次の朝、当時小学生だったおれは弟が生まれたのが嬉しくて、同級生に自慢したくて仕方なかった。
しかし、友人の一人は教室でおれに会うなり、
「昨日、ジョン・レノンがころされたんだって」
と得意げに話しかけてきた。
彼は小学生ながら、ジュリーとか洋楽とかを聴く大人びた少年だった。
じょん・・・れのん?
あまり興味がなかったおれは
「へえ、そうなんだ。それよりさ、昨日うちに赤ちゃんが生まれたんだ」
と、彼が語りたかったのであろうジョン・レノン話を遮るように、自分が言いたくて仕方なかった話題を切り出した。すると、
「ふうん、そうなんだ」
と、彼も興味がなさそうにつぶやく。
そしてこう続けた。
「ジョン・レノンの生まれ変わりかもしれないね」
こういう言葉を残して、ジョン・レノンの話ができそうな別の友達を求めて去っていった。
“じょんれのん”が何者か知らなかったおれだが、以来、なぜかこの言葉はずっと心に残り続けることになる。
小学生のおれにとって、年の離れた弟は本当に可愛かった。
生まれたばかりの頃は、友達と遊ぶよりも、早く帰って弟と会いたい気持ちが強かったのは覚えている。記憶がだいぶ薄いので、これが肉親への愛情だったのか、ペット的に可愛い赤ちゃんに萌えていただけなのかは定かではない。不謹慎かもしれないが、小学生なので許してほしい。
しかし、この感覚だけは確実に覚えている。
弟は他のどの赤ちゃんと比べても可愛く見えた。
言葉を選ばずに言えば、赤ん坊のうちはどの子も”猿顔”だ。
少なくとも1~2歳になるまでは見た目に大差ない。
それでも、弟だけはとびきり輝いて見えた。
この感覚は”肉親びいき”つまりは”肉親への愛情”だったんだろうな、と今は思う。
弟の世話は率先して手伝ったと思う。
当時は布おむつが主流だったが、おむつ替えの方法は今でも脳に刻み込まれている。基本的に母乳で育てていたと記憶しているが、哺乳瓶でミルクを飲ませた感触も残っている。
よちよち歩きをするようになった3歳くらいの弟も可愛かった。
文字が読めるようになった頃、ちょっとだけ絵が得意だったおれは、弟に絵本を描いてあげたりもした。弟は、急激に背が伸びてきたおれの肩車や大好きで、抱き上げて肩に乗せてやるとケラケラ笑っていたのを思い出す。
しかし、弟を猫可愛がりしていた記憶はそこで終わっている。
弟が幼稚園に入る頃にはおれも中学生になり、次第に友達との付き合いを優先するようになった。そして高校受験。弟が小学生に上がる頃にはおれは高校生だ。もう“家族と過ごすのがカッコ悪い”年頃である。
そんな高校時代も、家にいる時はファミコンに興味を持ち始めた弟とゲームで遊んであげたりもしたが、弟が喜んでいた記憶がない。というか、よく泣かせていた気もする。いや”遊んであげてた”んじゃなく、”無理やり相手をさせていた”んだっけか。本当に記憶がない。
まだ甘えたい盛りの小学生だった。もう少し外に連れて行ったり、年の離れた兄らしく遊んであげればよかった。
ともかく、弟はその頃からおれに寄り付かなくなっていたのは事実である。
以降、おれは浪人し大学生となり、そのまま就職して家を出た。
20代後半で一度実家に戻り、高校生になった弟と3年ほど同じ屋根の下で過ごしたが、その頃は弟が思春期真っ只中だ。ほとんど口はきくことはなくなっていた。
そして、おれが結婚して再び家を出てからは、会うことすらなくなった。
ときおり親戚の法事などで顔を合わせることはあったが、話すことなどありはしない。せいぜいぎこちない挨拶程度だ。
当然だろう。
弟にとっておれは、兄らしい記憶がない、血がつながっているだけの他人のような男だ。何を話せばいいというのか。
一方おれの方だって、弟に何と声をかければいいのかもわからない。
今も、毎年この時期にジョン・レノンの曲を聴くと、小学校の頃同級生が言った「ジョン・レノンの生まれ変わり…」という言葉が脳裏をかすめ、その度に弟を思い出す。そして後悔で胸がツンとする。
別に憎み合っているわけじゃない(と思う)。
ただ、会う度に兄を苦手視しているような、遠慮がちな弟を見るといたたまれなくなる。明らかにおれが悪いんだが、そんな思いをしたくなくて、おれの方も避けていたんだと思う。
とにかく、そんな関係性のまま、
おれはアラフィフ、弟は38歳になった。
もはや30年もまともに話をしていないんだから、お互い他人みたいなもんだ。
血がつながっているけど他人だ。他人だけど血がつながっている。
本音を言うと、可能ならば仲良くなりたい。と、毎年思う。
たとえばピンチな時に助け合えるような家族になれたらな、と思う。
勝手なことを言っていることもわかっている。
とりあえず、難しいことは考えずに、他人のオッサン同士から始められないもんだろうか。
性格は合わないことはないはずだ。
なんたって同じDNAを持っているんだから。
……と、こういう風に思っている。
面と向かってこんな照れくさいことは言えない。
万が一、検索でこの文章を読んでくれれば……などと都合のいいことを思いながらこの文章を書いてみた。
誕生日おめでとう。弟。
鳥肌。