| ジャンル | エロス / ドラマ |
|---|---|
| 製作国 | デンマーク=ドイツ=フランス=ベルギー |
| 製作年 | 2013 |
| 公開年月日 | 2023/7(ディレクターズカット完全版 日本公開) |
| 上映時間 | VOL.1 147分/VOL.2 177分 |
| 鑑賞 | アマゾンプライムビデオ |
おれはこの瞬間を見るために5時間がんばった!
『ニンフォマニアック』Vol1・Vol.2を続けて鑑賞した。
長かった……率直に言って苦行だった。「続けて鑑賞した」と言ったが実際には足掛け5日かかった。こういう場合に使う言葉じゃないと思うけど、これこそ「映画館で観るべき作品」だった。だって劇場なら強制的に5時間半で終わるでしょう?
そう、Vol1・2合わせて「5時間半」!
極端にエンタメ志向な自分が、ここまで哲学的な文芸作品(と呼んでおく)をよくぞ完走できたと思う。サブスクなんだから気に入らなければ離脱すればいい。しかしその選択肢はなかった。なぜか? それはおれには“大義”があったからだ。
全体は、ニンフォマニアック(色情症)の主人公ジョー(シャルロット・ゲンズブール)が幼少期からこれまでの数奇な体験を全8章に分けて語る構成。性欲に身を委ね、性を突き詰めていくしかない彼女の半生を、映画では見たことのないほど過激な性描写と性器そのものが、薄~い磨りガラスのようなボカシ(時に無修正)の中で描かれていた。
このあたりから「ここまでする必要があるのか?」という気持ちが少しよぎったが、まあいい。実際、目を引く映像の連発だった。若きジョーを演じたステイシー・マーティンも驚くほど可愛かったし(この女優知らなかった)、オッサン的に性描写シーンも決してイヤではない。ただしそんなポルノ的興味を遥かに超えて――正直に言うと、過激さにちょっとだけ引いていた。なにより題材に「興味がなかった」。
20代30代の頃なら「自分のすぐ隣にある世界」として興味深く見られたかもしれないが、50を過ぎた今では女性の「色情症」は感覚テリトリーとして遠すぎた。理解のないジジイですまない。そして何より主人公に「なまいきシャルロット」の面影がありすぎて、リアルタイムなオッサンには意外と辛かった……なんてことも追記しておく。
さて“大義”とは何か。
そう、若き日のミア・ゴスだ。当方、自称かなり強火なミアゴシストで、彼女の出演作はほぼコンプリートしている。しかしこの作品だけは今まで観る手段がなかった。今回アマプラ内「マイシアター+」でラース・フォン・トリアー作品が軒並み見放題になったのを知り、思わず飛びついた。
そんなミアが登場したのは総鑑賞時間5時間を超えそうなあたり(残り40分)だった。裏稼業で成功したジョーがボスから「後継者候補」として紹介された15歳の少女――それがP(ミア・ゴス)だった。友達が欲しくてバスケチームに参加するも内気で溶け込めない“無垢な少女”。これがおそらくミアの映画デビューの瞬間だ。
おれはこの瞬間を見るために5時間がんばった!
と本当に画面の前で声が出た。制作年が2013年ということはミアは20歳になるかどうかの頃。敬虔なゴシストなら思わず手を合わせてしまうほどの神々しさだった。
しかし喜びはここまでだった。5時間続いた過激な描写は、まだ年端もいかないミアにも襲いかかってきた。
「さすがに(撮影当時)10代の女の子に無茶はさせないよな?」
「ここからジョーがP(ミア・ゴス)に母性を見出す優しい展開になるんだよな?」
そう予測していたが――甘かった。大甘だった。
監督はかのラース・フォン・トリアーだった。
(おれの)娘より年少の女の子にも容赦なく、言うもおぞましいとんでもない行為をカメラの前でさせていた。突然ハッと父親の気持ちになってしまい、吐き気がした。
女性の「色情症」をタブー視せず描いた意義は理解できる。興味のなかったオッサン(=おれ)でさえも、その理不尽な苦しみを知るきっかけになった。表層では見えない深い心理を克明に浮き彫りにした「芸術作品」だとは思う。
だが――芸術だからといって演者はここまでしなければならないのか? 他に伝える手段はなかったのか? 本当に?
シャルロットもステイシー・マーティンも、そしてミア・ゴスも、本当に心から同意していたのだろうか。当時はまだ意識が薄かった「インティマシーコーディネート」の必要性も頭をよぎった。
まあ、この過酷な入口が、大好きな現在の「大女優ミア・ゴス」を作り上げたのは間違いなさそうだ。礼は言わない。
#ニンフォマニアック #Nymphomaniac #ネタバレ #映画感想 #ラース・フォン・トリアー #シャルロット・ゲンズブール #ステイシー・マーティン #ミア・ゴス #文芸映画 👇 気まぐれでいいので全部押して💕
![]()
![]()