ファイターズを球場に応援に行くと、選手のサインでびっしり埋まったユニホームを来ているファンを見かける。
おそらく鎌ヶ谷などに足繁く通い、選手を見つける度にひとつずつサインをしてもらったんだろう。
それぞれに対して思い出が一つずつ刻まれているのが透けて見えて、ちょっと泣ける。
選手に会って、サインをお願いして、ようやくひとつが刻まれる。それを何回も何回も繰り返して、このユニホームが完成した。
経年によって少しヨレたそのユニホームは、つまりは彼のチーム愛の結晶であり、それを着ている彼もどこか誇らしげに見える。
おれは心から羨ましく思うし、彼はどんどん自慢していいと思う。
自慢すると、なかには辟易する人もいるだろう。
でも有名人のサインというのは、こんなふうに”自慢するためのツール”だと思っている。それ以上でもそれ以下でもない。
「俺はこの人に会ったことがあるんだぞ」
「俺はこの人とちょっとだけ会話したんだぞ」
「その時の様子を聞きたいかい?」
こんな感じだ。
決して、“サインを持っている事”それ自体を自慢するのではなく、“自分はこの人に会った”ということを自慢する。
そう。
本来、有名人のサインというのは「その人に会った」証明書なのだ。
だからフリマやオークションで買うのも、ましてやプレゼントでもらうものでもない。
さて、ファイターズの選手のサインはひとつもないが、おれにも自慢できるサインが2つある。
一つは1994年にふらっとおれのバイト先を訪れたF1レーサー ミカ・ハッキネンのサインだ。
原付のヘルメットとマッキーを持って、美女と食事中のミカに無理やりお願いした。
あとで店長にしこたま怒られたが、当時F1の大ファンであったおれは、この千載一遇(万載一隅?)の好機に、バイトをクビになってもいい覚悟でミカに声をかけた。いっさい後悔はしていない。
もう一つは1年前の夏、作家の伊坂幸太郎氏にインタビュー取材をした際、恥を忍んで書いてもらったサインだ。
職業柄こうした有名人と会う機会は一般よりも多いが、それらはあくまで”仕事”であって、仕事中に取材相手からサインをねだるなど職権乱用以外のなにものでもない。そう思っていた。
しかし、おれは伊坂幸太郎の大ファンだった。この衝動に、プライドは勝てなかった。
あえてボロボロになった伊坂幸太郎氏の著作にサインをいただくことで、唯一無二の”おれだけの伊坂幸太郎のサイン”が完成した。「マッキさんへ」という親しみ深い誤字も含めて、おれはこれを宝のように大切にしている。
この2つはおれの大切な思い出の1ページであり、おれ以外の人間にとっては無価値だ。
ただ自慢するだけのためにずっと大切にしているが、意外と自慢するタイミングは少ないので、人知れずブログで自慢した次第である。