昨夜、ナイターがなかったので久しぶりにサウナに行ってきた。
ここのところ長めの風邪を引いていたのと、プロ野球が開幕したのが重なり、実に1ヶ月ほど行けていなかった。
これはおれが「趣味はサウナ」と自称し始めてからは、おそらく初めてのことだ。
行きたいけど、どうしてもタイミングが合わない。サウナ禁断症状が出はじめていた。
震える手でサウナの重めの扉を引き開けて、もわっと襲来する90℃の灼熱の中にその身を投じる。
ひな壇の最上段に腰掛け、何かを射抜くような鋭い目で備え付けのテレビを睨みつける。
静かに周りを見回すと、座禅を組みながら小さく唸りを上げる”鬼地蔵”(心の中でそう呼んでいる)と、目をつむり口半開きで微動だにしない”死体”(略)が数体。
聞こえてくる音は、面白くもないバラエティ番組の音声と、「ブゥゥゥゥン……」というサウナストーブの小さな低音のみ。
ああ、ああ、落ち着く。
非日常にトランス状態になっていくのが自分でわかる。
しばらくすると、やがて顔は紅潮し、背中に広がる満天の星空に無数の流星群が流れ始める。
(背中の汗粒を星空、流れ落ちる様子を流星群に暗喩した文学的表現)
美しい流星が空狭しと飛び交う様を背中で感じながら、おれは恍惚した表情で、声に出してつぶやいてしまう。
……ああ、帰ってきたなあ。
そうだ、帰ってきた。ここは実家だ。
まるで社会に疲れた身体と精神を休養すべく帰った実家で、一杯の麦茶を飲んだときのような心地よさ。
仕事も家庭も、実はすべて仮の世界で、こここそが唯一おれが居るべき場所、とさえ思える。
おれを取り囲む現実は、90℃のサウナ室よりも暑くて苦しい。
座を共にする”鬼地蔵”も”死体”も、今のおれにとっては家族だ。
冷静に見ると全員恐ろしい顔をしているが、ご無沙汰フィルタを通して見れば、母の笑顔のような慈愛の表情にも見えてくる。
たぶん初めましてだけど、みんなただいま。
こうして、久方ぶりの幸せな”家族との対話”をたっぷり15分。通常は大抵12分が限度だが、今日はとても体調がいいみたいだ。
芯の芯まで身体を温めたら水風呂へ直行だ。
汗をしっかり流した後、17℃の世界へ飛び込んでいく。
ひゃあ冷たい!
心臓がバクバクする。
よく勘違いされるのだが、サウナ愛好家だって水風呂は「ひゃあ冷たい!」と感じている。表情に出さないのは、ただ”慣れている”だけにすぎない。
入った瞬間は縮み上がって思わず声が出そうになる。しばらくは心臓がバクバクして苦しい。水中では寒くて震えている。
ついでに言うと、サウナ室も暑い。特に10分を超えたあたりは辛い。苦しい。
汗をダラダラ流しながら、本当は心で苦悶している。
それでもサウナ愛好家はジッと我慢する。
その先に訪れるものを知っているからだ。
水風呂に首まで浸かると、ものの数分後に”それ”が待っている。
90℃で熱せられた身体を急激に冷やすことで、冷たくなった皮膚の下をまだ熱い血液が駆け巡るのを感じる。
その血液が隅々まで行き渡ると、もっとも敏感な歯茎と舌先の感覚が麻痺してくるだろう。吐息が徐々に冷たくなってくる。それと並行して、内側から冷たい爽快感が突き上がる。
わからない人は、暑い夏、スポーツなどでハードに動いた後に飲むキンキンに冷えたポカリスエットを想像してもらえるといい。あのときの、喉と胸を通過するこの上ない恍惚感。
サウナ愛好家は”全身”、つまり頭から爪先まででこれを受け止めることができるのだ。
最近知られるようになった言葉で、これが「ととのう」という状態だ。
しっかり身体を冷やしたら、近くにある椅子かベンチに深く腰掛け、ゆっくり見上げる。
天井のタイルが歪んでユラユラしているのが確かにわかる。
個人的見解だが、冷たくなった血液がまだのぼせた脳に達したことで起こる軽い幻覚症状だと思っている。
このように、サウナ愛好家はひと時の快楽を求めて何度もこれを繰り返す。経験はないが、これは多分非合法な薬物に似ている。
そう。
サウナ愛好家は過酷な状況に身を投じているということで”ストイック”と思われがちだが、実はただ快楽を求めるだけのジャンキーだったのである。
そんなサウナジャンキーが、1ヶ月の禁サウナ状態から解き放たれるとどうなるか。
猿のように15分を7セットも繰り返し、帰りに吐いた。