遺書(ブログ)

左肩を上げ下げしながら生活した結果

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一週間以上、左肩の謎の肩痛に悩まされている。
かみさんにそのことを言うと「五十肩なんじゃないの?」とからかうので、垂直方向へ左腕を真っすぐ挙げながら「ハイ、五十肩ジャナーイ」とマイク・ベルナルドばりに言ったらウケた。

謎なんである。
おれも50だ。若くない。というか年寄りだ。
あちこちに体調不良をきたしている。わかってる。なにも謎じゃない。
しかしおれが認識する四十肩・五十肩と違う。「肩の高さ以上に腕が上がらない」と聞いている。

上がるんである。垂直に。ピンと。

むしろ腕を下げていると痛い。
しばらくは大丈夫なんだが、下げ続けているとそのうちに左肩の後ろの方がピキっときて、何か金属の糸でつながっているかのように痛みが腕全体へと伝わっていく。

痛みから逃れるように自然と手が上がる。
腕を真上に上げると痛みが少しやわらぐ。「宣誓!」ポーズである。

しかし腕を上げ続けていると疲れるので下げる。痛む。上げる……。この繰り返しなのである。
さすがに仕事にも支障が出ているので、近所の整形外科に行ってきた。

ただ近所と言っても歩いて10分ほどの距離があるので、そこに行くまでが辛かった。
痛みもそうだが、他人の目が気になってしまう。

歩くという運動はかくも肩を酷使するものなのか、と実感した。
10歩歩けばすぐに肩が痛みだす。そのたびにその痛みを和らげるべく腕を上げる。

つまりおれは10歩ごとに腕を上げ下げしながら、割と人通りの多い街中を歩いていた

どう考えても妙なオジサンである。LLサイズのマスクで顔のほとんどを隠し、キャップを深々とかぶっている。そんなオヤジが左腕を上げ下げしながら歩いている。

わかってる。誰も見ちゃいない。なるべく目立たないよう、さりげなく上げ下げすれば大丈夫だ。しかし、例えば正面から人が来ていたら? 例えばタクシーが通りかかったら?

正面から来る人、しかもマスクで顔もわからない人が突然手を挙げたら、おれなら知り合いかと思ってしまう。
おれがタクシーの運転手で。自分の車が空車ならば、手を上げている人を絶対に見逃すまいと歩道の人を凝視する。

おれは何が言いたいのか。

つまり、「妙な動きは意外と目立つ」ということだ。

人は普通に歩いてさえいれば誰にも一切気に留められない。ただの「人混み」の1分子として「背景」のなかに溶け込む。誰の視界の中に入っても存在していないのと同じことだ。

ところがだ。「10歩ごとに手を上げ下げする」という他人とは違う動きをすることで、突然、ある人たち(正面から歩いてくる人やタクシー)の世界に「存在」してしまう

街の中では普段おれは「存在していない」ということ、それが正しい状態であること。そして「存在してしまう」方法があるということ。街中で奇抜なファッションをする人や奇妙な行動をする人は、つまりみんなの世界に”存在”したいだけなんだ。

肩痛が起きなければ考えもしなかった。
また一歩、人の真理に近づけた気がした。

そんなことを考えながら病院にたどり着き、少し興奮していたおれは、(今思うとなぜそんなことをしたのか謎だが)医者にこの発見を熱っぽく語ってしまった。
医者は説明下手なおれの発見に、まったくピンときていないようだった。

診察が終わると、医者は別れ際に

「肩の神経痛だねえ。痛み止めとアタマの薬も出しとくから」

と言ってニヤッと笑った。

おれは、「宣誓!」ポーズをしながら病院を後にした。

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