ジャンル | ドラマ |
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製作国 | アメリカ |
製作年 | 1984 |
公開年月日 | 1984/7/28 |
上映時間 | 0分 |
鑑賞 | アマゾンプライム |
サントラ盤『フットルース』の映画化作品
洋楽マニアの中学生だった頃に、人生で初めて「一人で映画館に観に行った」特別な作品。
当時は洋楽ばかり聴いていて、「あのマイケル・ジャクソンの『スリラー』をヒットチャート1位から引きずりおろしたお化けサントラ盤の映画」として、絶対に観に行かなければならないという義務感に駆られて行った。(サントラ盤の方が先行して大ヒットしていて、映画本編は得体の知れない状態だった)
つまり、中学生の自分にとっては「サントラ盤『フットルース』の映画化作品だった」……という逆行現象が、今思うと面白い。
当時の印象としては、「大好きな曲ばかりがかかって楽しかった」というフワッとした感覚しか思い出せない。
ケニー・ロギンスの表題曲「フットルース」に「アイム・フリー」、ボニー・タイラー「ヒーロー」、「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ」「パラダイス」、ネバネバネバネバ……。
たぶん映画鑑賞に行ったのではなく、当時全盛期を迎えたばかりの「ミュージック・ビデオ」の2時間版を「聴きに行った」という感覚だったんだと思う。これはこれで学割料金の元は十分に取れた映画体験だった。
あれから40年が経ち、その間何千本も映画を鑑賞した自分が(サブスク有料配信ではあるものの)初めて「映画として」鑑賞してみた。結論。
――実はものすごく落ち着いた作品だった。
劇中に所狭しとぶち込まれたヒット曲の数々から、華やかでキラキラしたダンス青春映画というイメージを勝手に持っていたが(そういう一面もあるが)、思っていたのとはだいぶ違った。
「都会っ子の少年が鬱屈した町をダンスの力で開放する」という軸自体はいいとして、その手段がかなり地に足がついている。ダンスパーティを立案し、仲間たちで委員会のようなものを組織し、ちゃんと大人たちの承認をもらうために話し合いもする。
映画なので、主人公たちへの障壁としてさまざまな嫌がらせも受けるが、それらも意外と地味でリアル。
大人たちにチクチク説教されたり、主人公たちを良く思わない連中から理不尽に殴られたり、家の窓を割られたり。
舞台が寂れた田舎町で(当時のフィルム状態もあると思うが)色彩も淡い。主人公が恋した相手が、町の鬱屈っぷりの主因ともいえる牧師の娘だった!というのも、なんだかシェークスピアっぽい。
悪くいえば退屈。どちらかと言えば派手映画好きとしては、特別な「思い出補正」なくして最後まで観られなかったかもしれない。
ただ、オープニングの足ダンスと、ラストのダンスパーティシーンは胸が躍った。どちらも数分なのに、作品全体を彩っている。
本編がこの2つのシーンに挟まれていることによって、「地味なヒューマンドラマ」が「キラキラ青春ダンス映画」に上書きされたんだと結論づけた。ケニー・ロギンスは偉大!