今日11月3日は父の命日なので、墓参りに行ってきた。
亡くなって23年、命日に墓参りに通うようになって7年くらいかな。
生前は父にとってあまりいい息子ではなかったし、弟が行くとは思えないので、せめて年に一度くらいは、と恒例にした。
ちょうど祝日なので、会社勤めの頃から毎年なんとか行けているんだが、今日のように「ちょっと面倒くさいな」「来週にしようかな」とグラつくこともある。というか、ほぼ毎年この日の朝はベッドの中でぐらついている。
無理もない。父の墓は遠く富士山の麓にあり、決してカジュアルな気分で行けるものではないのだ。
電車なら4線とバスを乗り継いで片道約3時間。
車なら祝日ということもあり東名高速は往路復路ともにもれなく大渋滞。今日は車で行ったんだが、片道4時間かかった。
ほぼ行き帰りだけで今日という日が終わる計算だ。
行き帰りはとにかく辛い。墓参りだってそれ自体は楽しいものではない。それでも毎年欠かさずこの日に行けている。
最終的に「面倒だ」と「行かねば」の葛藤で、後者が勝っていることになる。おれはそれほど父に義理堅い息子だったのか?
違う。
まあ、おれも50近くになり、父の苦労も辛さも、ある種の哀しみも知った上では、せめて晩年は”義理堅くなろう”という気持ちはある。しかし、恥ずかしい話、それほどまでは伴っていないのが現実。
父親に対しての義理のみで「行かねば」と思っていたのならば、とうの昔に、この恒例の墓参りは途絶えていただろう。
実は、もう一つ「行かねば」を後押しする大きなモチベーションが存在する。
おれが、父の眠るこの「富士霊園」という場所が大好きという事実だ。
「富士霊園」。
静岡県周東郡小山町に位置し、213万平米というとてつもない面積を誇る超絶巨大墓地。東京ディズニーランドが10個入るか入らないかという広さだ。
総区画数も桁外れの7万区画、つまり、少なくとも7万人以上が眠っている。
まさしく死者のメガロポリス。生者にとっての首都東京のごとく、見渡す限りの墓、墓、墓なんだが、おれが富士霊園を大好きな理由はもちろんそこじゃない。別におれは墓石マニアじゃない。
墓地を取り囲む環境が、とにかく素晴らしい。
富士を背景にした、よく手入れされた自然(大自然とはちょっと違う)が広がっており、カメラを持っていくと、シャッターを押すのに夢中になって時間を忘れるほどだ。正直に言う。毎年墓参り20分、撮影2~3時間。父ちゃんごめん。
しかもこの季節は、ちょうど紅葉が色づき始める頃で、赤・黄・緑のバランスが美しい。
こんな感じ。
なお、この敷地全体には合計8000本の桜が植えられており、「日本さくら名所100選」にも選定されているという。
広大な土地を南北で分けるメインストリートは見事な桜並木になっており、おれは行ったことはないが、見頃の4月中旬はとても壮観なのだそうだ。
訳あって、この墓参り(と称した撮影会)は、毎年おれ一人の楽しみとなっている。
今は全く興味ないだろう14歳の娘が、もう少し大人になって「美しいものを見たい」という感受性を手に入れたとき、いつか一緒に訪れたい。