遺書(ブログ)

「咄嗟に手を差し伸べられる人」と「差し伸べられない人」

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子供がいなかった頃だから、少なくとももう14年以上昔になるだろうか。

かみさんと一緒にどこかに行った帰り道、エスカレーターの降り口で躓いて転んだ男性がいた。
動くエスカレータの上で、彼はなかなか立ち上がれず苦労しており、なにより手が巻き込まれる可能性もあったので危険だった。

「おおお危ねえな、大丈夫かよ」と他人事のようにつぶやくだけのおれ。しかし、隣りにいたかみさんは、すぐに彼のそばに駆け寄り、手を差し伸べていた。

おれは愕然とした。
「うちのかみさんは優しいなあ」という以前に、ただショックだった。
なぜおれは手を差し伸べられなかったのか。
手を差し伸べたのがおれじゃなかったのか。
いい大人なのに、そんなこともできないのか。
おれはどこか、心に欠陥のある人間なんじゃないか。
大袈裟でなくそう思った。

その男性は立ち上がりながら、しきりに「ありがとう、ありがとう」とかみさんに感謝していた。

危ない目にあっている人が目の前にいて、自分が救うことができるのなら、手を差し伸べるのが当たり前だ。頭ではわかっている。それでも咄嗟に身体は動かなかった。
一方、かみさんは考えるより先に身体が動いた。

この世には、こういう時に「咄嗟に手を差し伸べられる人」と「差し伸べられない人」がいる。前者がかみさんで、後者がおれだ。

一体何が違うのか。

ありきたりな言葉を使えば、それは「余裕」「ゆとり」といったものだとおれは思う。あの頃のおれには一切なかったものだ。

人間は、多かれ少なかれ、他人の人生は”別世界の出来事”だと線を引いているフシがある。そして、”自分の人生に必死な人”ほど太い線を引いてしまう。
いろんな意味で”前を見て歩くのに必死”だから、すぐ隣で起きていることを、咄嗟には自分の世界と同一視できない。

たとえ目の前の出来事でも、テレビドラマのように、ブラウン管の向こうで起きているような感覚で見ているのだ。

かみさんを始めとした「手を差し伸べられる人」は違う。
自分が生きているこの世界を、確実に現実の世界として見ている。自分の人生の延長線上に、困っている人がいる。だから助けた。それだけだ。

それだけのことだが、おれの体感だが、それができる人間は意外と多くない。

 

昨日、久しぶりに飲んだ以前勤めていた会社の後輩も、それができる人間だった。

2011年3月11日。忘れもしない、あの震災の日のことだ。東京も大きく揺れ、特に会社のある古いビルは激しく揺れた。おれが勤めていた会社は最上階にあったからなおさらだ。

「とにかく外に逃げよう!」
その日社長は海外出張に出ており、会社にいた中でトップだったおれが、社員へ避難の号令を出した。

おれと、おれの次に古株であるその彼は、社員全員が非常階段に向かうのを見届けてから、それを追うように急いで階段を駆け下りた。今だから言うが、本当に恐ろしかった。ビルが倒壊するんじゃないかというほどの激しい揺れに死を意識した。駆け下りながら、家族の顔が走馬灯のように浮かんだくらいだ。

そんななか、非常階段を駆け下りている途中の階で、「うわあ!」と悲鳴のようなものが聞こえてきた。階段から声のあったフロアを覗き込むと、ある事務所でパーテーションのようなものが倒れて、数人がそれを起こそうとしているのが見えた。あまりよく覚えていないが、逃げるのに邪魔になったんだと思う。

おれは「危ない!」と心で思いながらも、階段を降りる足を止めようとはしなかった。しかし、おれと一緒に逃げていた彼は、咄嗟にその事務所に飛び込み、その数人と一緒に倒れたパーテーションを起こしていた。
おれもそれにつられて助けに入り、無事全員外に逃げ出すことができたのだが、その後おれはけっこうショックを受けていたのを覚えている。

誰かが目の前で危険に見舞われていたのに、確実におれは逃げることしか考えていなかった。
あれほど緊迫した局面でも、おれは目の前の出来事を、自分の世界で起きていることとして認識できなかったのだ。

しかし彼は、自分の安全を考えるよりも先に、咄嗟に手を差し伸べていた。
おれは13も年下の彼に、人間としての差を見た気がした。

昨日飲んだときも、今や会社の実質的なトップになった彼は、会社のメンバーの心配ばかりしていた。

相変わらずだなぁ。お前、長生きしないぞ。

そんなようなことを言いながら笑い飛ばしていた。
できればおれもそんな人間になりたい。そんな本心は隠しながら。

その帰り道、駅の切符売り場で財布の小銭をぶちまけてしまった中年男性がいた。

おれはそれを見るなり直感的に駆け寄り、一緒に散らばった小銭を拾い集めている自分に気づいた。
拾い集めながら「ほう……」と思った。少しだけ自分に感心した。

会社を辞めて2年半。
おれも少しは余裕ができたのかもしれない。

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