昨日、斎藤佑樹が今季限りの引退を発表した。
入団して11年。決して皮肉なんかではなく、本当によくやったと思う。期待値に対して成績がふるわず、近年ではメディアから叩かれ続けてきた。そんなメディアの報道をさんざん見せられてきた人にとっては「現役にしがみつくみっともない選手」に見えていたことだろう。
しかし、おれにとっては真逆だ。袋叩きにあっても、何度ダウンを奪われても、殴られても殴られても何度も立ち上がり、ファイティングポーズをとり続ける勇敢なボクサーだった。顔はボコボコ。口の中は血だらけ。体を支ているのがやっとの状態でガクガク震える膝。だけど眼光だけはギラギラ光っている。おれの目から見えている斎藤は、身震いするほどカッコよかった。
それでも、悲しいことに斎藤の耳に声援は聞こえてこない。
「ダメだ」「実力がない」「もういい加減にしろ」。声の大きな罵倒だけが世の中にこだまする。
斎藤だって、きっと何度も辞めたいと思ったと思う。辞めてしまえば楽になれる。「辞めちゃおうかな」。現役選手でなければ壊れた体も痛くなくなるし、ここまで罵倒されることはない。
よく「既得権益だ」「密約だ」「給料泥棒」だなんだと言われるが、そんなことはない。斎藤の実績と人間力をもってすれば、引退したっておそらく一生食っていける。クールに人生設計を考えれば、わざわざ罵声を浴び続けながら現役にこだわり続けるメリットなんてない。
それなのに、なぜ斎藤はボコボコに殴られてまで現役にこだわり続けたのか。
それはたぶん、(少なくともここ数年は)もはや自分のためじゃない。陳腐な言い方しか思いつかないが、間違いなく「ファンのため」だったんだと思う。体が痛くても、動かなくても、心無いアンチに罵倒されても、それでも応援してくれるファンのために、わずかに残る力を振り絞って立ち続けてくれた。
僭越ながら、斎藤ファンを代表して言わせていただきたい。
もう十分だ。辛かったよな。
誰が何と言おうとおまえはやり遂げた。
最後まで戦う姿はしっかり目に焼き付けた。
絶対に忘れない。ありがとう。
昨日、斎藤の引退発表を聞いて、当然悲しい気持ちはあったが、ホッとする気持ちも半分あった。今は心の底から感謝の言葉が湧き出てくる。斎藤佑樹の戦う姿勢は、プロに入って11年間、いや「15年前」からずっとおれの指針だった。
あの2006年夏、スーパー銭湯
15年前の夏のあの日、おれはスーパー銭湯にいた。月曜日だったからサボりだ。当時ブラック企業に属していたおれは、たしか数日間会社に泊まり込んでおり、「ちょっと風呂に行ってくる」と会社を抜け出した。
大きなテレビのあるスーパー銭湯を選んだのは、甲子園の決勝戦があったからだ。早稲田実業対駒大苫小牧。前日、斎藤佑樹と田中将大というスーパースターの投げ合いで、15回を戦いながら”両者譲らず”という凄まじい試合を見た。だから「引き分け再試合」となったこの試合は、絶対に見逃せないと思った。
テレビのある食堂は、平日にもかかわらず人で賑わっていた。試合展開は、早実が序盤に先制し、コツコツと追加点で駒大苫小牧を突き放していく早実ペース。しかし最終回に強豪駒大苫小牧が息を吹き返した。
4-1と早実の3点リード。「あと3人で優勝」という場面で、ピッチャーの斎藤が2ランホームランを浴び、土壇場で1点差まで詰め寄られてしまった。なおもノーアウト。しかし斎藤は、ハンカチで額を拭いながら、この期に及んで140km台後半の剛球を連発し、並み居る強打者をなぎ倒していく。最後の打者、田中将大を三振に斬ったとき、食堂で歓声が上がった。たしか、おれも何か喚いていた。
喚きながら、気づくと涙がこぼれていた。周囲は知らない人ばかりなので「恥ずかしい」という気持ちも働いたが、止めることができなかった。たぶん、あの頃おれは病んでいたんだと思う。
ここからは自分語りになってしまうが、「おれにとっての斎藤佑樹」に関わってくる話なので許してほしい。
当時おれのいた小さな会社では、反社長派の役員が反旗を翻し、実務ができる若手を連れてごっそり抜けてしまった。押し出されるようにおれが取締役に就任したんだが、ここからが本当に地獄だった。
おれは新体制で補充した新人を育てながら、会社に入ってくる実務をすべてこなした。これが本当に辛かった。家族や友人との時間、お金、多くを犠牲にした。ミスも多かった。それでも「今は辛いけど、彼らが育てばきっと軌道に乗る」「今だけだ、今だけ頑張れ」――そんな思いで、泥水の中を這うように耐えていた。
そんな時期、会社は現状を打破すべく新事業を立ち上げた。それ自体はとても魅力的な事業で、できれば自分が携わりたかったが、現状会社を支えている従来業務から離れることができず、涙を呑んだ。「こっちは任せてください」なんて強がりを言いながら。
気が付くと、業務を軌道に乗せるために育てた新人たちは、すべて新事業に持っていかれていた。我に返って周囲を見渡せば、再び山のように降りかかってくる従来業務と、新たに補充した見習い新人が数人。また地獄のやり直しである。
しかも今回は、しばらくは利益が出ないだろう新事業も支えなければならない。絶望で目の前が真っ暗になっていた。
あの「2006年夏」は、おれにとってそんな時期だった。
当時のおれは自分で”悲運のエース”を気取り、7試合69イニング948球を一人で投げ切った斎藤佑樹を、自分自身に重ねていたんだろうと思う。社長は助けてくれなかった。同僚もいない。家族も理解してくれなかった。友人も失った。一人だった。心の中はゴールの見えない仕事に支配され、せめて「おれがエースだ」という自覚と建前を持っていないと立っていられなかった。
ともかく勝手ながら、リリーフすら仰がず7試合を一人で投げ抜いた斎藤佑樹の姿に、おれは自分自身を置き換えた。テレビ画面の中で、チームメイトの真ん中で人差し指を突き上げ、喜びを爆発させる大エースを見て、まるで自分が報われた気分になった。ふと「もう少し頑張ってみよう」と思い立ち、あの日、会社に戻ることができた。
このままで終わるはずがない
それから4年後、あの夏おれを救ってくれた斎藤佑樹が、10代の頃から応援している日本ハムファイターズに入団することになったときは、「奇跡か」と思った。本当に飛び上がるほど嬉しかったなあ。この日から斎藤はおれにとって特別な選手になった。
しかし誰もが知る通り、入団してからの斎藤は決して順風満帆とはいかなかった。3年目からは怪我に次ぐ怪我で、かつての球威は見る影もなく、なんとか復帰しても「通用しない」なんてことが繰り返された。おれも斎藤にはファイターズのエースになることを期待していたので、「残念じゃない」といえば嘘になる。
ただ、斎藤が「当初期待していた姿」とかけ離れたからといって、メディアや”素直なファン”のように、攻撃的な気持ちにはならなかった。それはやっぱり「2006年夏」の斎藤佑樹が、今も根強く心の中にあるからだと思う。
あの輝いていた斎藤がいるから、今の斎藤が「このままで終わるはずがない」と強く期待できた。
実際、斎藤は何度も挫折し、何度も立ち上がろうとした。前向きな言葉を発信するたびに、なぜか世間からは批判の標的になったが、それでも斎藤は決して後ろ向きなことは言わなかったし、もがくことをやめようとしなかった。
カッコよかった。
斎藤が挫折を味わっている間、おれにも何度か挫折があった。斎藤佑樹が挫折するたびに自分と重ね合わせ、それでも「やってやろう」と逃げずに戦う姿に勇気づけられた。今は辛くたって「きっとあいつなら立ち上がる」と自分を奮い立たせた。20近くも年下の男に憧れた。
やがておれは「斎藤が復活する姿を見たい」と思うようになっていた。
「復活して世間を見返せば気持ちいいだろうな」という暗い願望もなくはないが、単純に、これだけ前向きに努力をしている人間が、ちゃんと報われるというところが見たかったのだ。そんな姿を見られたら、自分も報われた気分になれるのではないかと期待した。あの2006年夏のように。
そんな想いを胸に斎藤佑樹を見つめ続けてきたが、「現役として復活する」という意味では、ついにその夢はかなうことはなかった。
しかし「残念」とはこれっぽっちも思わない。努力が報われなかったとも思わない。現役時代、何度も挫折して何度も立ち上がろうともがいた経験は、必ず次の人生で報われる。それを確かめるまで、今後もおれは指針として斎藤佑樹を見つめ続けたいと思う。
本当の復活劇はこれからだ。
※「いいね」と感じたら↓をクリック、またはSNSで共有してくれたら嬉しいです