おれは東京在住だが、このあたりには温泉が多い。
徒歩圏内は墨汁のように黒い黒湯温泉が有名だし、車を使えば30分以内に行ける天然温泉が、頭で数えるだけでも10軒ある。
すべて日帰り温泉(宿泊なし)で、いわゆるスーパー銭湯的なところから、温泉宿のようなムード重視の本格派まで、実にバラエティ豊かに揃っている。
東京で働いていると、ことあるごとに「温泉旅行に行きたーい」なんて言ってる人がいるが、なぜこういうところを利用しないのか、今となっては不思議である。ただ「癒やされたーい」と同義に使っているか、旅行自体が好きな人か、もしくはこういう場所があることを知らないだけか。
実際おれも、こうした施設を知らなかった頃は、ただの「温泉好きオジサン」だった。温泉を楽しむには温泉地に行くしかないと思っていた。「温泉旅行に行きたーい」と、ことあるごとに叫んでいた。
そんなおれも、今では月に4度は近所の温泉施設に通い、温泉旅行など行きたいとすら思わない。
いい日帰り温泉施設を見つければ、温泉旅行に行かずとも「温泉」は十二分に楽しめるからだ。「旅行」は面倒くさい。じつは「温泉」だけでいい。
そしていま、おれにとって「温泉」は”日常”だ。
このあたりの日帰り温泉施設に行きまくったおれが、常宿ならぬ”常湯”としているのが、川崎の「縄文天然温泉・志楽の湯」である。
幸運なことに、自宅からは車で15分で行ける距離。
先ほど「温泉施設に月に4度は行っている」と書いたが、「志楽の湯」へはその4分の3、“月に3度”は行っている。
残りの1度は別の施設でぼんやりローテを組んでいるんだが、それはまた別の話。
「志楽の湯」と出会ったのはもう4~5年前になるか。
子供が遊んでくれなくなった頃だから、土日の度に一人でご近所温泉巡りをしていた。
自宅から車で1時間圏内の施設をネットでリストアップして、遠方から順に巡った。「なかなかいいな」と思った施設もあれば、「うーんちょっと・・・(二度と来ない)」な施設もあった。
そんなご近所温泉巡りの旅も終盤を迎えた頃に出会ったのが、この「志楽の湯」である。それまでの週末ごとの旅で、そこそこ温泉施設の評論眼が養われたおれの目で見て、ここが圧倒的に素晴らしかった。
まずとにかくスゴイと思ったのが、「都会にふるさと」をモットーに徹底されたその世界観。
場所は南武線矢向駅ほど近く(徒歩5分)。閑静な住宅街の真ん中にそこだけ森があり、その中に入っていくと、木々竹林に囲まれた古民家風の建物が出現する。
もうこの時点で視界には近代的なものは見えない。つい30秒前までは都会の真ん中だったのに、たちまち田舎の温泉宿にトリップである。
(ただし背後には隣の大きなマンションがある。気分を盛り上げたいなら絶対に振り向いてはいけない)
建物に入っても、決してその世界観が崩されることはない。
ガラガラっと開く木扉。
木札の靴箱。
すべて黒い木製の板で組み立てられたようなカウンター。
踏みしめるとギシギシ鳴く床板。
建物内には、現代を想起させるような電化製品はおろか、金属的なものさえ一切見えない。
浴室内も徹底されている。
シャワーや金属の水栓がある洗い場は目をつむるとして、それ以外は、見事にすべて木と岩で統一されている。
この手の施設では必要不可欠な時計ですら、屋内に1つと露天に1つ、小さくて目立たない壁掛け時計が隠すように設置されている。
忙しいビジネスマンで、時間がわからず困った方もいたに違いない。それでも「志楽の湯」は、“世界観”を壊す「時計」の存在感は最小限にとどめている。
もっとも本気を感じたのがサウナ室だ。
ここにはテレビがない。サウナ愛好家にとって、テレビがないサウナ室はちょっと辛い。気を向けるものが何もないので、90度の灼熱と正面から対峙しなければならないのだ。愛好家によっては敬遠されてしまうかもしれない。
そんなリスクを冒してでも「志楽の湯」は”世界観”を優先した。
お風呂は内風呂と露天風呂。
露天風呂は、ゴツゴツとむき出しの岩(信州八ヶ岳の安山岩)がランダムに配置されており、浴槽はまるで自然に作られたかのようだ。その中から具合の良い岩を見つけて横たわれば、木の隙間から原風景の空(夜間は星空)しか見えず、しばし時を忘れて頭が空っぽになる。
泉質はナトリウム塩化物強塩温泉。
舐めるとちょっと塩っぱい。
数十万年前の太古の海水に、岩のミネラル、海草、草木の成分や繊維などが溶け込んだものなのだそうだ。
それだけに、ナトリウムイオン、塩化物イオンなどを豊富に含まれ、その効用には、皮膚の新陳代謝促進、疲労回復、美肌……などが期待できるんだとか。
さて。語りすぎてしまった。
この「志楽の湯」には、ざっと計算しただけでも100回は訪問しているが、決して飽きることはない。
月に3回、だいたい平日の21時~24時までたっぷり3時間過ごしている。
露天風呂の一番奥、暗闇の中で横たわり、星空を見上げながら放心しているオッサンを見かけたら、多分それがおれである。
そっとしておいてほしい。