ジャンル | 伝記 / ドラマ |
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製作国 | アメリカ |
製作年 | 2024 |
公開年月日 | 2025/2/28 |
上映時間 | 141分 |
鑑賞 | 109シネマズ川崎 |
誰も望まない過激な破壊行為をディランはやった。

ティモシャラはこれでディカプリオルートに乗った感があるよね。「ディカプリオルート」は今思いついた言葉だけど、何となく意味はわかるでしょ?
お肌ツルッツルの中性的な王子様俳優だと侮っていたら、いつの間にか男臭いゴリッゴリのカメレオン俳優になっていた現象と、その道筋のこと。日本なら「山田孝之ルート」とも呼ぶ。呼ばない。
ティモシャラ演じるボブ・ディランは、オッサンのおれから見てもカッコよかった。そもそもイケメンだし、ワイルドだし、歌もギターもうまいし、ホントなんなんだよお前。好き。
彼はきっと20年後も、年齢なりの変貌を遂げ、年齢なりの役作りの幅を広げながら、ずっと主演を張り続けているんだろうなと簡単に想像できた。現在のディカプリオ(元レオ様)のように。
さてボブ・ディランだ。
個人的には世代でもないし、特にハマったという経験はないんだけど、ちょうど去年の夏くらいかな、BS NHKのドキュメンタリー「アナザーストーリーズ」のボブ・ディラン回を観て、その時初めて興味を持った。
その回は、まさしく劇中でクライマックスになった”伝説のフェス”1965年の「ニューポート・フォーク・フェスティバル」を中心にした内容だった。
「フォーク界の新リーダー」として期待されていたディランが電子楽器を使って演奏したことに、会場全体が「本当に荒れに荒れた」、と当時客席にいた観客の一人が証言していた。
正直その時は「そんなに荒れるようなことじゃないだろ」「楽器が変わったくらいで」程度に思っていたが、この「名もなき者」を観て、ようやく事の重大さを実感できた気がする。
運営に関わるピート・シーガー(エドワード・ノートン)は「フォーク」という文化を守っていく使命を、ウディ・ガスリー(スクート・マクネイリー)から引き継いでいる。そして観客は、その思想のもとに集まってくれた大切な信奉者たちだ。(少なくともあの場所では)誰も望まない過激な破壊行為をディランはやった。シーガーがブチ切れてプラグを引きちぎろうとする気持ちもよくわかった。
現在となってはこれが偉大な”伝説のフェス”と称され、”歴史が変わった瞬間”という趣旨でドキュメンタリー番組で扱われるような出来事になったが、当時のシーガーの気持ちを思うとちょっとやるせないよね。
ただ、映画的にはそこがよかった。
そんな「360度が敵」の状況でのボブ・ディラン演奏シーンが、最高にカッコよかったよね。
会場全体から容赦なく浴びせられる罵声、ブーイング。行儀の悪い観客から悪意を持って投げつけられる物を避けながら熱唱する「ライク・ア・ローリング・ストーン」。徐々にディランの歌声も、バンドメンバーたちの演奏にも力が入ってくる。その熱につられて観客も一部歓声に転じていく。
こうして曲が終わる頃には「会場全体が一体となっていた」!
……となれば映画っぽいけど、相変わらず9割方受け入れられなかったってのがリアルだよね。
伝説っていうのは、ただキレイなものじゃなくて、何かを裏切って、傷つけて、破壊して、成し遂げられるもんなんだってことが実感できた。そこに彼自身の意志があろうがなかろうが。
ずいぶん経ってから、赤の他人が勝手に取材して、勝手に解釈して、書籍やドキュメンタリー番組や映画で「伝説だ」「愚行だ」とより分ける。そういうものだということが、この作品によって本当の意味で理解できた気がした。面白かった、というよりは、興味深かった。バランスの取れたいい作品だと思う。
そういえば、ボブ・ディランをノーベル文学賞に強く推薦していた人物はアメリカの偉い文学者なんだけど、彼もあのフェスの会場で「裏切られた」と失望した20歳の学生だったらしい。
陳腐な感想になってしまうけど、エモい。


