遺書(ブログ)

10年

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(写真は本震直後の会社のデスク。東京でも社内はめちゃくちゃだった)

この歳になると10年前なんてほんの最近のことに感じてしまうんだが、震災のことだけは遠い昔のように感じる。それまでの人生で経験したことのない憂鬱な日々だったので、自己防衛本能からか思い出さないようにしていた作用なんだろう。

先日サンドウィッチマンが「ほんとは節目なんてないんですけどね。ただ10年たっただけ。また明日が来るだけ」とコメントしていたようだが、これは彼らだからこその感覚だろう。この10年間震災と向き合って、復興とともに生きてきた彼らや東北の被災者にとっては、数字なんかに大した意味はない。毎日が復興の足跡なのだ。

節目というのは、震源からあらゆる意味で”距離”が遠い、われわれの前でこそ意味を持つんだろうと思う。

365日のうち、せめてこの日だけは14時46分に目を閉じ、固く閉ざしていた引き出しを開けて、あの日と、その後数日について思いを馳せる機会にしなければならない。「それが義務だ」などと声高に主張するつもりはないが、少なくとも自分の人生の途中に2011年3月11日が存在する世代の人々は死ぬまで忘れちゃいけない。
だから引き出しが錆びつかないように、定期的に開ける。その意識は持ち続けたい。

●震度5弱の衝撃
●ビル倒壊の恐怖
●断続的に起こる余震
●つながらない携帯電話
●業務停止の葛藤
●完全に麻痺した交通機関
●永遠に車で詰まった幹線道路
●人であふれかえる駅
●めちゃくちゃになったコンビニ店内
●歩道からはみ出る帰宅困難者
●20㎞の徒歩帰宅の心細さ
●自宅に到着した時の安心感
●突如持ち上がった「原発の危機」という底知れない恐怖
●延々と津波の映像を流し続けるテレビ
●テレビの向こうから聞こえてくる東北の人々の悲痛な叫び・悲しみ
●計画停電の心細さ
●不安だけをあおるACの差し替えCM
●停止した業務の焦り(けっこう忙しい時期だった※社畜の感覚)

重い引き出しから断片的に出てきたのはこんなところだろうか。それぞれに心象風景が伴って、痛い。(被災地の人々の痛みは計り知れない)

開け続けていると辛いから明日は閉じる。そして来年の今日、また開ける。
痛みを忘れることは未来へ生きるために必要なことだが、「痛みがあったこと」だけは忘れてはいけない。

われわれにとって3月11日とはそういう日なのだと思う。

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