ジャンル | アクション / 冒険 / サスペンス・ミステリー / ドラマ |
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製作国 | アメリカ |
製作年 | 2025 |
公開年月日 | 2025/5/23(先行上映5/17) |
上映時間 | 169分 |
鑑賞 | チネチッタ川崎 |
ありがとう、トム、イーサン、お疲れ様
お前が今これを読んでいるということは、おれはもう「ファイナル・レコニング」を観終わったってことだな。(これ、一度言ってみたかった)
2年前に劇場で前作「デッドレコニング」を観て、「続きを観るまでは絶対に死ねない!」と心に誓ったオッサンが、見事2年生き延びた。
本編前のトム・クルーズによるサプライズ挨拶動画、見た?
「この作品はあなたのために作りました」という言葉に、マジの本気で目頭が熱くなった。
トムのこういうところ、ホントに好き。
劇場へ向かう直前に「デッドレコニング」を復習して、こちらもトムのために万全な態勢を整えて本編に臨んだわけだが、鑑賞後最初に沸き上がった感想は3行、以下だった。
ちゃんと終わらせてくれたね。
ありがとう。
29年間、お疲れ様。
「デッドレコニング」から2年間棚に上げられていた疑問はほとんど解消してくれた。それどころか、過去作(1~6)で散りばめられた伏線も回収する(後付けだろうけど)というサプライズもあり。「イーサン・ハント」という、世界中で愛されたキャラクターを、トム自らも愛情を持って終わらせてくれた。
「最終回」としてはスッキリ。おかげで安心して死ねる。
ありがとう、トム、お疲れ様。
以上、愛するトムへの感謝の言葉でした。
ご清聴ありがとうございました。
さて、こっからが作品(「ファイナル・レコニング」)自体の感想だ。正直に一言でいうと、
「ちょっと、期待していたものの『斜め下』だったなあ……」だ。ごめん。
「上」とか「下」とかいうのは失礼か。言い直す。「期待していたものとは違った」と言うべきかも。おれが悪い。
じゃ、おれは「ファイナル・レコニング」に一体何を期待していたのか?
それはハラハラに次ぐハラハラ、ドキドキの後にさらなるドキドキ。とんでもないピンチを奇跡のような方法で乗り越えるスリル。弾丸の雨。大爆発。強大な敵との一騎打ち。休憩なんかいらない。
「サスペンス」よりも「アトラクション」。
「物語」というより「体験」。
要するに、おれが求めているのはストーリーじゃない。「M:I」シリーズならではの、純度の高い「アクションシーン」だ。前作「デッドレコニング」には、これが鳥久の弁当※のようにギッシリ詰めこまれていた。「その続き」として素直に期待してしまったおれが悪いのかもしれないが、実際、かなり物足りなく感じてしまった。
ミーティングとブリーフィングがとにかく多いんだよ。会話が多い。たぶん制作陣は「ちゃんと物語として終わらせる」という方針で、それを達成するための”説明文”が必要だったんだと思う。わかる。でもこれでは、「観」るよりも、ちゃんと「聞」いていないと話に置いていかれてしまう。これまでの「M:I」シリーズで、こんなことはほとんどなかった。
もちろん本作にも、息が詰まりそうな潜水アクションやクライマックスの複葉機チェイスなどの”看板アクションシーン”はあった。興奮した。でも、全体的に言っちゃえば、物語のつじつまを合わせるための説明がメイン。「3時間弱の長い長い後日譚」という感じだったかな。つまり、物語を終わらせるためだけの回。「最終回」としては無くてはならない回だけど、決して「神回」ではない。
だから、これから観る人は「イーサン・ハント物語」幕切れのための「完結編」として厳かに見届けるべきかな、と今なら思える。それ以上でもそれ以下でもない。襟を正して、(心の)正装をして、感謝を持っていったんのお別れをする。そんな「セレモニーのような作品」として観るべきだったのかもしれない。
大袈裟かもしれないけど、われわれ映画ファンは、トム・クルーズとイーサン・ハントに対してそれくらいの恩義があると思う。
作品は面白くなかった。
※鳥九の弁当:東京都大田区蒲田に本店を構える、老舗の弁当屋「鳥久」が提供するお弁当。特徴的な白い唐揚げと、小さな弁当箱にこれでもかと米とおかずが詰められた弁当が有名。
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