遺書(ブログ)

緊急事態宣言下の「ソロピクニック」

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今日は5か月ぶりのウォーキングに出かけた。
風通しの良い河川敷ルートを、久しぶりにゆっくり散歩することにした。

そうだ。せっかく天気もいいんだから、河川敷グラウンドのベンチでソロピクニックでもしよう。

おお「ソロピクニック」

思いのほかテンションが上がる言葉じゃないか。

河川敷までの道のりにあるコンビニに立ち寄り、お茶とサンドイッチ持参で、だだっ広い(野球場10面くらいある)河川敷グラウンドのベンチに陣取る。

まわりを見渡すと、快晴の日の日曜日ということもあり、グラウンド周辺の芝生は近隣住民で意外と賑わっていた。

キャッチボールする若者、サッカーボールを追いかける子供たち、自転車の練習、フリスビー、愛犬を走らせる愛犬家。本格的な凧あげ(ゲイラカイト?三角のやつ)を楽しむ人もいた。

皆一様に、緊急事態宣言下とは思えないほど生き生きとしていた。

逆光のシルエットだけを見れば、ごく普通の日曜日に見える。
ただ一つだけ違うこと。それは、大人から子供まで、もれなく顔の下半分をマスクで覆われていたことくらいか。

ベンチに寝転がる。

仰ぎ見れば、久々に見る青空と太陽、そしてそれを背景にくっきりと浮かぶ白い雲。時折吹き抜ける風も心地いい。
聞こえてくるのは、キャッキャと遊ぶ子供たちの声と足音、川のせせらぎのみ。数分おきに電車の音も遠くから聞こえてくる。
そのまま目を閉じると、軽くトランス状態になる。

ああ、おれは生き物なんだなあ。

ここ2週間ほとんど自室に引きこもっていたせいか、「屋外」を五感で感じてやたら大袈裟な気分になった。

新型コロナの猛威に「普段の生活」を奪われることで、皮肉なことに、おれは今もっと根本的な「生き物」の実感を味わっている。河川敷のベンチで。

こうして空を仰ぎ見ながらベンチに横になっていると、すこし眠ってしまった。

気が付くと、隣のベンチ(といっても10m以上離れていたが)から、電話で話す男性の大きな声が聞こえてきた。

「ぜんぜん元気じゃないわよぉ~。ワンちゃんの散歩くらいしか楽しみないわよ!」

どうやらオネエだ。

そうか、オネエ仕事をしている人も大変だよなあ。
接客業はおそらくコロナ渦を今もっともダイレクトに受けている人々だ。
最初に政府から指を差され、自粛を強いられ、肩身の狭い思いをしながら、再開の目途も立たない不安な日々を過ごしている。

そりゃ「ぜんぜん元気」なわけがない。
政府はもちろん世論も助けてくれない。ペットだけが味方という気持ちにもなるのも必然だろう。

おれは横になったまま、声のする方に首だけを回して”彼女”を覗き見る。

マスクを顎までずらしてスマホを耳に大声で話すその人物は、思い描いていたものと大きく違った。“彼”は白髪のおじいさんだった。

その瞬間から今まで、おれの脳内では「サンサーラ」が流れ続けている。

多摩川河川敷には昨年の台風19号の傷跡がまだ残っていた。

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