遺書(ブログ)

「酒井弘樹」は、おれたちのヒーローだった。

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昨日、愛知県の野球部監督が部員に体罰を加えていたというニュースをテレビで見た。

映像を見て驚いた。集合した複数の部員に対して殴る蹴るのやりたい放題。ショッキングな映像だった。

報道を見ると、その監督は元プロ野球選手(47)で、元ドラフト1位、プロ野球を引退したあとに教職免許を取り、野球部のない高校に野球部を作ったという苦労人とのこと。
昨夜のニュースの時点ではその人物の名前は伏せられていた。

伏せられていたが、エピソードを聞いてピンときた。
というか、おれはその人物を知っていた。
同年代の院友(國學院大學出身者のことをそう呼ぶ)ならば誰もが知る人物。
元近鉄バファローズの酒井弘樹だった。

酒井弘樹は、おれが國學院大學の学生だった頃、東都リーグの万年二部だった國學院大學野球部を一部に導いた伝説のエースだった。

その活躍がプロスカウトの目に止まって、大学初のドラフト1位でプロ野球入りしたときは興奮したなあ。
知り合いではなかったが、同時期に大学に通っていたので、同じ学食で飯を食っていたことくらいあったろう。

今でこそ國學院大學は、先日引退した矢野謙次、楽天の嶋や聖澤、ファイターズの杉浦、ベイの柴田など、数多くのプロ選手を生み出す名門(?)だが、その中でもパイオニア的な酒井は特別な存在だ。

率直に言うと「悲しい」。

プロ入り以降、結果としてはパッとした成績を残せなかったが、おれはずっと注目してたぞ。近鉄のファンではなかったが、新聞のスポーツ欄では毎日、酒井の登板の有無をチェックしていた覚えがある。
先発して勝ち星がついたときや、リリーフして0点に抑えたと聞けばテンションが上がったし、負ければちょっと機嫌が悪くなった。

友達でもないくせに、自分のことのように一喜一憂していた。
プロで成績を残せず、ひっそりと引退したときも、おれは知っていたぞ。
おれだけじゃない。たぶんおれたちの代あたりは、そういう院友は多かったはずだ。

結構ディープな野球ファンでも知らない「酒井弘樹」は、おれたちのヒーローだった。

しばらくして、引退後に教職免許を取り、高校野球の監督をやっていると聞いたときは、「教師予備校」とも呼ばれる國學院大學出身らしいなと安心した。

次は、”酒井弘樹監督”を応援するぞ。
早く甲子園に来い。

そう誓ってから、次に”酒井弘樹監督”の名前を聞くことになったのが、甲子園出場ではなく、暴力事件のニュースとは。「悲しい」。

現在は「謹慎中」とのことで、今後の処分はどうなるかはわからない。
しかしあの映像は強烈であり、どんな処分を受けても、完全に「なかったこと」にはならないだろう。

ニュースでは、登下校時の学生にインタビューをしていた。

「酒井先生はどんな先生?」

当然のごとく「怖い先生」「しばらくは距離をおきたい」というネガティブな声も聞かれたが、こんな事を言う学生も何人かいた。

「熱意のある先生」
「野球部では怖いけど、普段は優しい先生」
「好きな先生」・・・

プロ野球で挫折し、それでも野球を忘れられず、30代になってから教職免許まで取って、野球部のない高校の教師になり、一から野球部を作った。
相当な熱意と覚悟を持つ人間じゃないと、こんな人生は辿れない。

おれはこの学生の言葉を信じる。

暴力は絶対に許されることではないが、本質的には「熱意のある、いい先生」で「好かれて」いたんだろうな、と贔屓目に思う。

当事者の方々は、こんな暴力教師はたまらんだろう。「早く追い払ってもらいたい」という気持ちもわかる。

だからこそ、おれは院友、いや「友達」として、今後も再起を願っている。

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