遺書(ブログ)

50手前の”思死期”

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数年前から「脂肪肝」で3ヶ月に1度ほど通院している。

「脂肪肝」という響きが何だかだらしなくて、大した病気ではないような感じがするが、これが発展すると「肝硬変」につながる怖い病気なのだ。
定期的に経過を監視していかないとならないのだ。

大学病院で当時おれを担当していた主治医は若く、ずいぶん年上の患者にも軽口を叩くタイプで、ちょっとおれが不安がると

「大丈夫っすよ。ホンダさんは余命10年です」

と笑えない冗談を言ったりする。

たぶん「それほど悪くはないから10年は大丈夫っすよ」と安心させたかったんだろうが、いかにも言葉のチョイスが悪すぎる。
キミにとって10年後は”ずいぶん先”というイメージなんだろうが、50手前にとって「10年」は、キミが思うよりずっとすぐ傍にある。
相手が相手なら、怒る人もいるだろう。超不謹慎発言である。

でも、不思議とイヤな気はしない。
いつも冗談を言い合いながら、笑いながら問診を受けていた。
なんとなく波長が合っていたんだろうと思う。

ちょうど去年の今頃だったかな、そんな彼がエコー検査の結果を見ながら、

「んんー、、、しょうがない。アレやっちゃいましょう」

ときた。冗談っぽいノリは普段どおりだったが、目は笑っていなかった。

「アレ・・・とは?」

「肝生検ですよ。ホンダさんフリーだから2日くらい入院できますよね?」

「まあ、はい・・・(カンセイケン?)」

「じゃ、早いほうがいい!年明け早々にやりましょ。1月の9,10,11なんてどう・・・」

「ちょ、ちょちょ待ってよ。カンセイケンってなんなんですか」

「大丈夫っすよ。細い針をちょちょいと刺して、肝臓の一部を採取するんす」

「な、何でそんな事が必要なんです?」

「肝臓のサンプルを取ってちゃんと分析するんす」

なるほどね、ってわからん。これまで血液検査と時々エコー検査だけでやってきたじゃないか。なぜ急に?

「数値が思ったより改善しないからじゃないすか。しかも痩せろって言ってるのにぜんぜん痩せない。エコーで大事なところが見えないんすよ」

いつにない厳しい表情で”お前のせいだ”と叱られてしまった。
おれがデブだからしかたない、ということらしい。こんなことならもっと本気でダイエットをやっておけばよかった。

「肝生検」の内容を詳しく聞くと、右のアバラ骨の間からブリックパックのストローのような針を刺し(「細い針」だと?)、針の先が肝臓まで届いたところで、肝臓の欠片を削り取ってくるといったものだった。
術後(この響きが怖い)は、その穴が塞がるまでは絶対安静。だから2泊の入院が必要なのだそうだ。

説明を聞いて震え上がるおれ。
ここで初めて自分の置かれた立場を認識して、思わず涙目になる。

青く乾燥した唇で、彼にもう一度確認する。

「もう一度・・・チャンスをいただけませんか」

「駄目です」
もう彼の顔は笑っていなかった。

この後、「手術」(担当看護師がそう表現していた)までの1ヶ月が、おれ史に残る地獄の1ヶ月だった。

まずは「手術」の恐怖
おれはこの歳まで「手術」の経験がない。
局部麻酔はするが、意識のある状態で、太い針を内臓に届くほど深く刺す。
考えるだけで身の毛がよだつ。
よせばいいのにグーグル検索してしまうと、ものすごく怖いイラストが目に飛び込んでくる。

「肝生検」の基礎知識(「病院の検査の基礎知識」より)

なんじゃこら。
おれがこれをやるのか?
やるのかおれがこれを?
これがほんとにおれなのか?

現実感がないのに、1ヶ月後にこれが現実に行われるという現実。
一瞬でもこれがよぎると、後頭部からサーッと血の気が引き、耳から背中までの感覚がなくなり、仕事中でも手につかなくなる。

そして「死」の恐怖だ。
おれがデブだったせいで、肝生検によって「今まで見えなかった部分が見える」ということ。見えてしまうということ。
もしかしたら「脂肪肝」は「肝硬変」にグレードアップしているかもしれない。
「肝臓がん」だったらどうしよう。

映画や書物の世界だけで理解していたつもりだった「死」が、おれのすぐ隣にあることに気づく。

「死」が現実のものとなって襲いかかる。

「人間が死ぬ」ってどういうことだろう。
「人生ってなんだろう」。

布団の中でこの考えに陥ると眠れない。
「○日までに終わらせてほしい」という手元の仕事も、「死ぬかもしれない」という考えの前では全てが馬鹿らしくなってしまう。

正月は最悪だった。
なんとか仕事を一段落させ、身軽な正月休みといきたいところだが、正月のおめでたいムードのなかでも「死」の恐怖から逃れられない。

「死ぬかもしれない」はどんどん深みに沈み込み、年が明けるころには「どうせおれは死ぬんだ」に変わっていた。

正月早々、ストレスからついにおれは「十二指腸潰瘍」になった。

この、前代未聞のメンタルの崩壊具合にすっかり心が折れたおれは、這うように携帯電話を手にして、病院をダイヤルする。

「肝生検、少し延期できませんか?」

これが正解かどうかはわからない。
この地獄を延長しただけかもしれない。
ただ目の前の恐怖から逃れたかった。
なんという弱メンタルなおれ。
でも実際、その一言で明るい世界へ抜け出せたと思う。

結局、2ヶ月延期して3月に肝生検を受けたわけだが、驚くほど落ち着いていた。
怖くなかったといえば嘘になる。でも、魔の正月でかなりメンタルが鍛えられた。

……ちょっとニュアンスが違うな。
あの正月で、驚くほど弱メンタルだった自分に気付かされて、時間を置くことで、それを受け入れることができた。

「手術への恐怖」も「死の恐怖」も”得体の知れないもの”ではなくしてから、正しく認識して検査に臨めた。(意味わかるかな)

今ではあのとき延期しておいてよかったなと思う。
得体の知れない闇に沈み込んだまま、予定通りの日程で検査を受けていたら、そのまま闇に潰されていたかもしれない。

今も右胸の肋骨の下あたりには、針の刺さった後が残っている。
生まれて初めて「死」について深く考え、闇の中からある程度の真実にたどり着いた修了印である。

おれ史上最低の地獄の正月は、少年が大人になるための「思春期」のように、人間が50を前に登るべき階段の一つだった。

おれの「思死期」は死ぬまで続く。

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